
横浜雙葉中学高等学校の教育は、17世紀、フランスでニコラ・バレ神父がうち捨てられた子どもたちの尊厳を回復するための教育活動を開始したことに始まります。
バレ神父が1666年に開設したカトリックの女子修道会はその後、世界各地に幼きイエス会として広がり、バレ神父の教えを受け継ぐ女子教育に取り組んでいます。
マザー・マチルド他4名の修道女が横浜に上陸したのは1872年のこと。
初めての来日修道女として、山手58番地に外国人女子教育および貧困児童養育事業を開始しました。
のちに一般の子どもを対象に紅蘭女学校を始め、1958年に校名を横浜雙葉中学校・高等学校としました。
バレ神父やマザー・マチルドの女子教育にかける熱い想いは、現在も教育理念として受け継がれています。
17世紀 | 絶対主義のフランスで、ニコラ・バレ神父がうち捨てられた子どもたちの尊厳を回復するための教育活動を始める。この活動から「幼きイエス会」が設立される。 |
1686年 | ニコラ・バレ神父帰天 |
1814年 | 創始者マザー・マチルド誕生 |
1872年5月 | マザー・マチルド、プチジャン司教より来日を依頼する手紙を受け取る。 |
1872年6月 | マザー・マチルド他4名の「幼きイエス会」修道女、横浜に上陸。初めての来日修道女となる。山手58番地に外国人女子教育(サンモール・インターナショナルスクール)および貧困児童養育事業(仁慈堂)を開始。 |
1900年 | 一般の女子を対象とした横浜紅蘭女学校開校 |
1902年 | 児童養育施設を菫女学校とする |
1906年 | 横浜紅蘭女学校第1回卒業式 |
1911年 | マザー・マチルド帰天 |
1914年 | 横浜紅蘭女学校付属初等科、幼稚園開設(幼稚園はその後閉鎖) |
1923年9月 | 関東大震災により全校舎倒壊(菫女学校は東京へ移転後閉鎖) |
1925年11月 | 復興校舎竣工落成式 |
1933年1月 | 横浜紅蘭高等女学校設立認可 |
1943年頃 | 集団疎開・勤労動員 |
1945年5月 | 太平洋戦争中横浜大空襲により全校舎焼失 |
1945年7月 | 授業を再開 |
1947~59年 | 10期に分けて校舎復興事業 |
1950年 | 創立50周年・「田毎の月」始まる |
1951年3月 | 校名を雙葉中学校・高等学校に変更 |
1956年9月 | 山手町226番地に小学校新校舎竣工 |
1958年11月 | 校名を横浜雙葉中学校・高等学校に変更 |
1959年 | 戦後からの校舎建設が完成 |
1962年9月 | 体育館竣工 |
1967年4月 | 講堂竣工 |
1972年 | 幼きイエス会来日100周年 |
1980年11月 | 創立80周年記念式典 |
1993年9月 | 新聖堂・南(高校)校舎竣工 |
1998年3月 | 東校舎特別教室(理科室・調理室)竣工 |
2000年10月 | 創立100周年記念式典 |
2003年3月 | 新西校舎(職員室・図書館等)竣工 |
2007年10月 | 修道女来日記念レリーフ完成 |
2022年 | 幼きイエス会来日150周年 |
1662年、北フランスのルアンの郊外に貧しい子どもたちのための小さな学校が開設された。人々は創立者の名前をとって「バレ神父の学校」と呼んだ。バレ神父は、子どもの教育に携わる献身的な女性教師を集めて1666年、共同体を創立した。貧しく幼い子どもをイエスのように受け入れるという目的を持つことから、やがてこの共同体は「幼きイエス会」と命名される。
1999年3月、バレ神父はローマ教皇によって福者(聖人の前段階)の列に加えられた。現在「幼きイエス会」は、人々に神の愛を伝えキリストに倣って生きる生き方を示しながら、世界各地でさまざまな活動を実践している。
マザー・マチルドは、バレ神父が創設した「幼きイエス会」の修道女であった。1872(明治5)年、シンガポールの修道院長であったマチルドは、4人の修道女とともに、横浜に上陸した。「山手58番」の小さな家を借り、横浜の居留地に住む外国人女子の教育や養育施設の準備から始めた。その年の暮れには山手83番に移転。横浜で最初の養護施設「仁慈堂」は本格的となり、外国人女子の教育も充実。病院の訪問などにも携わり、活動の輪を広げていった。
マチルドにとって、学校を開設するまでの年月は苦難の連続であったが、神への強い信頼と、子どもを愛し教え育てたいという情熱が横浜紅蘭女学校(現横浜雙葉学園)、さらに静岡での仏英女学校(現静岡雙葉学園)の設立へと実を結んでいった。