横浜 Yokohama
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- サン・モール学校の子どもたち。校舎と修道院
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- マザー・マチルド(中央)と1889年当時のシスター方
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横浜
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1 桟橋(象の鼻)2 横浜天主堂跡3 前田橋4 山手58番地5 山手83番地6 外国人墓地7 カトリック山手教会
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- 1 桟橋(象の鼻)
- 1872年6月28日、マザー・マチルドほか4名は迎えの小舟に乗り換えてこの地に降り立った。日本の地を踏んだ最初の修道女たちである。
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- 2 横浜天主堂跡
- 1862年、開国後最初に建てられたカトリック教会の聖堂跡(現山下町80番)。マチルドたちが初めてのミサにあずかった。1906年山手町へ移転。
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- 3 前田橋
- 当時はまだ、この橋のたもとにキリシタン禁制の立札が立っていた(1873年まで)。橋から山手へは百段階段が続いていた(関東大震災まで)。
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- 4 山手58番地
- マザー・マチルドたちが日本到着後に住んでいた住居(修道院)があった場所。無からの出発であった。その後一時学園が所有したが現在は手離している。
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- 5 山手83番地
- 1872年以降、シスターたちは山手83番地に土地を得て修道院と外国人の子どもの学校と寄宿舎、日本人の子どもの家“仁慈堂”を本格化させていく。
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- 6 外国人墓地
- マザー・マチルドや最初の来日修道女たち、メール・セン・テレーズなど、幼きイエス会修道女で横浜にゆかりの深いシスター方が眠る。
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- 7 カトリック山手教会
- 横浜天主堂が1906年、山手町44番地に移転し建てられた。関東大震災で倒壊し再建されたものが現在の聖堂。庭のマリア像は天主堂時代のもの。
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外国人墓地に眠るシスター
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1
関東大震災(1923)で
犠牲になられたシスター方
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2
マザー・マチルド メール・セン・テレーズ
シスター・ノルベール シスター・フェルディナンド 他
- 3 シスター・グレゴワール 他
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4
シスター山上 シスター荻島
シスター皆川 他 - 6
- 6
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1
関東大震災(1923)で
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- カトリック末吉町教会
- 末吉町教会のもととなった若葉町教会は、伝道所から始まり日本人の教会として横浜で最初に建てられた。1894年献堂。1階には明道小学校が併設され、マチルドやシスター山上が教えていた。
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